南三陸町②
- 投稿日:2011年07月13日
- カテゴリー活動日記
皆さん、こんばんは。
先日、話をしておりました、南三陸町についてブログを書きたいと思います。
今回は物資の輸送がメインであったのですが、空いた時間で町中を案内して頂きました。
ご覧の写真のように、震災から3カ月以上経過した今もなお、無数のがれきの山がそこにはありました。
現地の方のお話では、これでもかなりキレイに片付いてきたとのこと。
発生当時を想像すると言葉もありません。
また、色々な生のお話を伺うことができました。
過去何度も津波の被害を受けている中、町民の津波に対する意識は高かった。
しかし、「想定外」の大津波に対しては、今まで積み上げてきた防災計画、要援護者支援、避難訓練などなど、まるで機能しなかった。
中には津波慣れしているせいで、野次馬のように海に向かっていく人もいた。
貴重な話を沢山聞かせて頂く中で、私たちの街・藤沢に自然と重ね合わせている自分がいました。
もし、仮に今回の規模と同様の津波が本市に押し寄せてきた場合…
藤沢バイパスまで浸水するという話を聞いたことがあります。
本当に身が震える思いであります。
いつ起こるかも分からない大災害、日本という国に住む以上、地震・津波といった天災は避けては通れません。
こんなこともおっしゃっていました。
「色々な計画や訓練をしていても、実際はその通りに実施することは不可能に近い。いかにひとり、ひとりが高い意識を持って行動できるかが重要だ。」
まさにその通りであると感じました。
今後どのように防災に向き合っていくか。
本市においてもいろんな意味で問題が沢山あるかと思います。
防災に強い議員。 すなわちそれは人の命を守れる議員。
そんな議員になって欲しい。
お忙しい中、面会させて頂いた南三陸町長から頂いたお言葉です。
10年先も20年先も今ある意識の高揚を持ち続け、本市の防災に全力で取り組んで参りたいと思います。